南九州支部の沿革と鹿児島大会  


  鹿児島に少年野球結成の動きが始まったのは、昭和45年10月。
安藤 旭氏・池田 稔氏・片平 敦氏・米盛 政李氏等実業界の有志の賛助協力を得、翌46年3月初代支部長米倉 清嘉氏(現米倉商事社長)・林 徳蔵事務局長のスタッフで南九州支部が発足。

  同年5月5日を期して、鹿児島タイガース(現鹿児島ヤングタイガー)・鹿児島オリオンズ・鹿児島ジャイアンツの3チームが結成された。

  全国大会への参加は同年8月からで、以後春夏併せて40回大阪へ代表チームを派遣している。これまでの戦績は、昭和53年春ヤングタイガー中学部が全国優勝を達成したほか、小学部で5回、中学部で4回の決勝進出を果している。

  当支部現在のチーム数は、小学部20、中学部24の合計44チームで、部員の総数約900名。その組織運営に携わる支部役員数約35名。今後なお、新加盟のチームが漸増の見通しである。

  全日本鹿児島大会が企画されたのは昭和48年秋。その後半年の準備期間を置いて、昭和49年2月の本部総会で承認を受け、同年8月第1回大会が鹿児島県東市来町の揚之元球場で開催された。

 第1回大会の参加チームは小・中併せて24、第2回大会(指宿市)は25、第3回大会(指宿市)は34、と年々参加チームの増加をみ、第10回大会では県外22チームを含め56チームの大会まで成長した。